蒲田の歴史


 
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江戸名所図会

蒲田はむかしは海でした

 一万年前の蒲田は海岸に近く、浅い海の底でした。このことは、土地の下の方の地層が砂や粘土でできていること、そこから貝がらがたくさん出てくることからも分かります。
発掘された貝がら
(当社近辺で発掘された貝がら)

 その後、多摩川によって運ばれた土や砂が積み重なって、砂浜が遠くまで続く干潟から島へと変わりました。今のような陸地になったのは、2千年くらい前だったと言われています。

 
人が住み始めたころ

 今から2千年ほど前の竪穴住居の跡が、区内の久が原台地でたくさん発見されています。ちょうど米づくりが始まった頃のことです。
 しかし当社のあたりは当時は一面の草原で、蒲田には1500年ほど前から人が住み着いたのだろうと、当社から発見された土器などから言われています。また、蒲田八幡神社の境内には小円墳などもありました。

 
蒲田の名のおこり

 蒲田の名の由来は大変古く、いつ頃からそう呼ばれるようになったかは分かっていません。「蒲田町史」には「カマタはアイヌ語であり、ぬまの中の島という意味をもつ」と書かれています。
 日本の地名では、「カマタという言葉は、どろ深い田をあらわしている」と言われています。この辺は昔、田園の広がる地だったのかもしれません。
 稗田神社の大鳥居には『蒲田井郷(ほたいごう)稗田神社』と書いてありますので、「蒲田井(ほたい)」という名前を使ったときもあったようです。そのほか、「加万田(かまた)」「加萬田(かまた)」と書いたりもされていますが、詳しいことは分かっていません。1200年ほど前は蒲田郷と呼ばれ、わずか50戸ほどの小さな村でした。

 

 

 


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