蒲田の歴史


 
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梅の名所

 蒲田は昔から、果物や草花づくりの活発な土地でした。特に江戸時代の頃は梅が多く、田や家のまわりは数百本の梅の木に囲まれていました。梅の実はおいしく、江戸の人びとに大変好まれていたからです。
 そのため毎年春になるといっせいに梅の花が咲きそろい、そのすばらしい眺めを遠く江戸からも人々が来るようになりました。そして蒲田は「梅の木村」として有名になりました。

明治時代の梅屋敷
(明治時代の梅屋敷)

 その後、東海道の道すじで薬売りをしていた人が、各地から梅の名木4万本を集めて、大きな梅園をつくりました。梅園の中には茶屋などもでき、たいへんにぎやかな場所となりました。当時の人々はここを梅屋敷と呼んでいたようです。
 この梅屋敷は東海道の道すじにあったためにたくさんの見物客が訪れ、亀戸梅林(江東区)、杉田梅林(横浜市)とならんで梅の名所となりました。

 
名所菖蒲園

 明治の中ごろから大正にかけて、菖蒲園は蒲田の名所として広く知られていました。明治35年に植木会社が当社の近くに開園したものです。広さは約1万坪、園内にはさまざまな菖蒲が植えられており、ぼたんやさくら、つつじや、すばらしい藤棚なども楽しむことができました。
 菖蒲園は今の加登屋付近を入り口とした広い遊園地で、大正の終わり頃まで続いたようです。蒲田の発展とともに菖蒲園はなくなり、今では「あやめ橋」が当時の名残を残しています。

 
昔の呑川

 蒲田の中心を流れる呑川は、六郷用水の水も取り入れたきれいな川でした。田の灌漑用として各地へ送られるだけでなく、飲み水にも使用され、生活には欠かせない存在でした。この呑川の水はたいへんおいしく、水屋さんが各家庭の水がめに水を運んで売っていたようです。田植えや刈り取りの時期には船を使って肥料や稲運びにも利用され、畑でとった野菜もここで洗いました。
 川幅は今より少し狭く、川底が見え、たいへんきれいな川でした。場所によってはふな、たなご、うなぎなどを取る釣り場となり、夏には子供たちの泳ぎ場となりました。しかし、大雨による洪水もたびたび起こっていたようです。

 


 


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