由緒


 




『狛犬』
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 延喜式神明帳に、武蔵国荏原郡稗田神社と記載された、いわゆる延喜式内社です。和銅2年(西暦709年)、僧行基がこの地に足を留め、天照大神、応神天皇、春日大神三柱の御神体を刻みて納め奉ると伝えられています。斎場としての歴史はさらにさかのぼり、第11代垂仁天皇の御宇神地神戸をお定めになって、天神地祇を崇敬し給いし霊地とも伝えられ、この地に集落ができるとともに成立した蒲田草創の古社であります。

 稗の字は蒲の古字と言われ、稗田神社はむかし蒲田神社とよばれたと伝えられています。大田区指定の文化財となっている大鳥居に、蒲田井郷稗田神社とあり、南蒲田1丁目鎮座の北野神社社標にも蒲田井府北野神社とあって、蒲田井(ほたい)と読むと伝えられていること、また、三代実録には清和天皇貞観6年(西暦864年)8月14日戌辰詔似武藏国従五位下蒲田神社列官社と記載されていること、その他の事情などを考慮してみると、ホ-蒲-稗のあて字がつかわれ、稗田をヒエダと発音するようになったものと思われます。

 永録のころ、行方弾正代々六郷の地頭として本社の傍らに住し、本社を崇敬して経営につとめたので当時は壮観を極めました。天正18年、弾正直清は北条氏に味方して豊臣秀吉と戦いましたが敗れ、その家も荒廃してしまいました。しかし村民氏子の微力によって修繕管理され、氏神様として村民の信仰を集めつつ、今日の姿となりました。

明治5年10月 郷社に定められました。
昭和20年4月15日 戦災のため全焼しました。
昭和29年 御社殿復興遷座祭を執行。
昭和54年 御社殿復興25周年記念事業として、
社務所を新築しました。
平成12年 社殿が新築されました。


 


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