大鳥居と桜
当社の創祀は不祥ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われます。この地は多摩川の河口にあたり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、都からの文化の伝播ももっとも早く、関東における文化の先進地でありました。したがって、縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として、
田神社から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分ちお祀りしたところ、霊験あらたかであったといいます。新宿分村は慶長の頃と言われていますが、一説には平安末期か鎌倉初期とも言われ、決定的な資料は残されていません。しかし、諸般の事情を推論して慶長5年を新宿分村、当社御鎮座とさだめ、平成12年に御鎮座400年祭を施行しました。明治維新となり、神仏分離によって春日の像は別当明安寺に移されましたが、戦災によって消失しました。