女塚神社概要

概要 /  由緒 / ご祭神

社殿
■ご祭神 誉田別命
■創 祀 不祥
■鎮座地 東京都大田区西蒲田6丁目22番1号
■境 内 1013
■氏子地域 西蒲田1・4・5・6丁目
■社 殿 銅葺、流れ造(鉄筋コンクリート造り)
■末 社


稲荷神社(宇迦之御魂大神)
白山社(白山比 大神)
■古 墳 少将局(女塚霊神)をまつったところ
■古墳碑 古墳のいわれを記している
■社務所 30坪
■神輿庫 5坪
■鳥 居 石造り明神型
■狛 犬 石造り1対

由緒

女塚神社は以前は八幡社と言って女塚村429番地(国電蒲田駅東口付近)に鎮座していましたが、明治5年、京浜間に鉄道が敷設されるため、明治21年現在地に遷座され、女塚神社と改称されました。

現在の社地は、新田義興憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害せられたのを村民が憐れみ、この地に祀ると伝えられ、八幡社を遷座する以前より村民の崇敬の厚い聖地でありました。現在も境内の一隅に塚があり、女塚霊神がこれです。

社碑
( 古 墳 碑 )


ご祭神

【誉田別命(応神天皇)】は、はじめ八幡大神として、遠く九州の宇佐に顕現され、皇室の尊崇を受け、貞観元年(西暦859年)王城鎮護のため、京都に御分霊を鎮祭しました。現在の石清水八幡宮です。

八幡太郎義家といわれた源義家は、石清水の神前において元服式を行い、深く八幡大神を信仰して、そのご加護のもとに関東から奥羽遠征の際、各地に八幡宮をおまつりしましたが、その中の一つ鎌倉由比ヶ浜にあった八幡宮を源頼朝が移しまつったのが、現在の鶴岡八幡宮です。源氏の勢力とともに、この地にも八幡信仰が盛んになりました。


社額
( 社 額 )