(ひえだじんじゃ)

 

薭田神社

薭田神社の年間行事

1月1日〈元旦〉

歳旦祭 初詣

(甘酒奉仕中止)

2月17日

 祈年祭

境内末社例祭

6月25日 夏越大祓
7月10、11日 盆踊り(中止)
9月 例大祭
11月 七五三詣
11月22日 新嘗祭
12月26日 年越大祓 

・鎮座地

東京都大田区蒲田3-2-10

 

・御祭神

誉田別命(ほんだわけのみこと)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)

荒木田襲津彦命(あらきだそつひこのみこと)

春日大神(かすがのおおかみ)

 

・由緒

延喜式内社の「薭田神社」として、当社が正史にあらわれるのは貞観6年(864年)ということになりますが、社伝によると更に歴史は古く、次のように伝わっています。

和銅2年(709年)、僧行基が天照・八幡・春日の三体神を造り、本社に安置しました。その後、弘安5年(1282年)に日蓮が池上宗仲の邸に入ったとき、村民の要請で、この三体は日蓮によって開眼されたといいます。

しかしながら、現存の式内社についての全国調査結果をまとめた『式内社調査報告』によると、この社伝は信憑性がないとし、『惣國風土記』に基づいて潤色されたものであろうと記されています。ただ、当社に一体の石像(春日)と二体の木造の神像が安置されてきたことは確かであり、この点は社伝の三体神と一致しています。

 

・社名について

薭田神社の「薭田」という字。これは「ヒエタ」と読むのでしょうか、「ヒエダ」と読むのでしょうか。

平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には、武蔵国荏原郡に鎮座する2つの神社の内1つは「薭田神社」と書かれていますが、これは「蒲田神社」の誤りであるというのが通説です。

幕末に活躍した国学者、栗田寛は、「蒲」という字は、古体をいつのときにか「薭」と誤写し、それがそのまま後世に伝えられたものであると述べています。明治時代に出版された『神社覈録』も「ヒエタ」と読みながら「薭田擬ふらくは蒲田の誤ならん。」と注記し、更に「和名鈔・郷名部・蒲田 加万田」と述べています。

また、『延喜式神名帳』以前に編纂された歴史書『三代実録』に「貞観六年八月十四日戌辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあることや、同時期に造られた辞書『和名抄』に荏原郡蒲田郷の地名のあることなどから考えて、この説が正しいと思われます。

このような有力な説があるにも関わらず、当社は社名を薭田神社ととなえており、蒲田神社とは称していません。蒲田神社が薭田神社と称するようになったのは何故でしょうか。

『延喜式神名帳』にある旧荏原郡の薭田神社は後世になって所伝が絶え、その所在が不明確になっていました。旧荏原郡内の神社にはそれに見合う大社はありませんが、当社の社前の地が古くから「神戸」と呼ばれており、また近くには神戸橋という橋もあり、この地名はのちに八幡社が勧請されてからの地名とは思われないので、当社が薭田神社であろうと考えた別当榮林寺の僧が、神祇管領の吉田家に当社を薭田神社とする旨の申請をし、その許可を得ました。

『新編武蔵風土記稿』は薭田神社についてこのように述べ、社号成立の経緯を明らかにしています。

 

 

 

 

薭田神社の御朱印は、蒲田八幡神社にて授与致しております。詳しくはこちら(御朱印について)をご覧下さい。

薭田神社での御祈祷をご希望の方は蒲田八幡神社(TEL 03-3731-5216)へご連絡下さい。

 

 

 

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