・鎮座地

 

東京都大田区蒲田3-2-10

 

 

 

・御祭神

 

誉田別命

天照大御神

武内宿禰命

荒木田襲津彦命

春日大神

 

 

 

・由緒

 

延喜式内社の「薭田神社」として、当社が正史にあらわれるのは貞観6年(864)ということになりますが、社伝によるとさらに歴史は古く、次のように伝わっています。和銅2年(709)、僧行基が天照・八幡・春日の三神体を造り、本社に安置しました。その後、弘安5年(1282)に日蓮が池上宗仲の邸に入ったとき、村民の要請で、この三神は日蓮によって開眼されたといいます。しかしながら、現存の式内社についての全国調査結果をまとめた「式内社調査報告」によると、この社伝は信憑性がないとし、「惣國風土記」にもとづいて潤色されたものであろうと記されています。ただ、当社に一体の石像(春日)と二体の木造の神像が安置されてきたことは確かであり、この点は社伝の三神体と一致しています。

 

 

 

・社名について

 

薭田神社の「薭田」という字。これは「ヒエタ」と読むのでしょうか、「ヒエダ」と 読むのでしょうか。平安時代に編纂された延喜式神名帳の古写本である九條家本、吉田家本には、どちらも「ヒエタ」と読み仮名が付いています。明治時代に出版された神社覈録にも 「薭田は比恵多と訓べし。」と書かれていますが、いつの頃からか「ヒエダ」と濁音にするようになり、現在、一般では「ヒエダ」と呼んでいます。
延喜式神名帳には、武蔵国荏原郡に鎮座する2つの神社のうち1つは「薭田神社」と書かれていますが、これは「蒲田神社」の誤りであるというのが通説です。幕末に活躍した国学者、栗田寛は、蒲という字は、古体を右図のように書いたのを、いつのときかに薭と誤写し、それがそのまま後世に 伝えられたものであると述べています。先の神社覈録も「ヒエタ」と読みながら、「薭田疑ふらくは蒲田の誤ならん。」と注記し、さらに「和名鈔、郷名部、蒲田加万田」と述べています。また、延喜式神名帳以前に編纂された歴史書三代実録に、「貞観六年八月十四日戌辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあることや、同時期に作られた辞書和名抄に荏原郡蒲田郷の地名のあることなどから考えて、この説が正しいと思われます。このような有力な説があるにも関わらず、当社は社名を薭田神社ととなえており、蒲田神社とは称していません。蒲田神社が薭田神社と称するようになったのは何故でしょうか。
延喜式神名帳」にある旧荏原郡の薭田神社は、後世になって所伝が絶え、その所在が不明確になっていました。旧荏原郡内の神社にはそれに見合う大社はありませんが、当社の社前の地が古くから「神戸」と呼ばれており、また近くには神戸橋という橋もあり、この地名はのちに八幡社が勧請されてからの地名とは思われないので、当社が薭田神社であろうと考えた別当榮林寺の僧が、神祇管領の吉田家に当社を薭田神社とする旨の申請をし、その許可を得ました。新編武蔵風土記稿は薭田神社についてこのように述べ、社号成立の経緯を明らかにしています。

 

 

 

 

薭田神社の御朱印は、蒲田八幡神社にてお書きしております。詳しくはこちら(御朱印について)をご覧ください。
薭田神社での御祈祷をご希望の方は蒲田八幡神社(
TEL03-3731-5216)へご連絡ください。

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