由 緒

蒲田八幡神社

         ほんだわけのみこと (おうじんてんのう

御祭神 誉田別命(応神天皇)

         

御神徳

 武運 勝運 殖産興業(商売繁盛)

学問 母子(安産子育)厄除開運

歴史

当社の創祀は不詳ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われます。この地は多摩川の河口に当たり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、都からの文化の伝播はもっとも早く、関東における文化の先進地でありました。したがって、縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。

 

蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として、薭田神社から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分かちお祀りしたところ、霊験あらたかであったといいます。新宿分村は慶長の頃と言われていますが、一説には平安末期か鎌倉初期ともいわれ、決定的な資料は残されていません。しかし、諸般の事情を推論して慶長五年を新宿分村、当社御鎮座とさだめ、平成十二年に御鎮座四百年祭を執行しました。

 

明治維新となり、神仏分離によって春日の像は別当妙安寺に移されましたが、戦災によって焼失しました。

 

昭和二十年四月十五日、戦災により社殿は灰燼に帰しましたが、たちまち再建気運が勃興しました。戦後復興していく蒲田の中心にあったため、昭和二十四年八月、新宿八幡神社を改め【蒲田八幡神社】と称えるようになりました。

 

氏子崇敬者の奉賛によって社殿は竣工し、昭和三十三年八月八日、御社殿復興遷宮祭を執行しました。

 

それから六十年の年月が過ぎ、御社殿の改修工事を行い現在の壮麗な社殿へと新築され、八月三日から八月五日にかけて平成三十年御社殿復興六十周年記念例大祭が斎行されました。

境内末社

 

天祖神社

       

御祭神

天照大御神(あまてらすおおかみかみ)

日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

 

国民崇敬の精神的中心として仰がれる天照大御神は、日本人の心のふる里である伊勢神宮を総本宮として、全国一万八千社の御分社が天祖神社、または神明社となって各地に鎮座されています。

 

日本武尊は景行天皇の皇子として生まれ、九州をはじめ出雲国・東国を平定した武の神です。

応神天皇の祖父にあたり、死後白鳥になって飛び立ったことから、酉の市で有名な鷲神社の祭神として、商売繁盛の神としても信仰を集めています。この神社はもとお伊勢の森(現・蒲田四‐二四)に御鎮座する社でありましたが、明治四十三年五月二十七日、現在地に移転して境内末社となりました。

 

 

満願火伏稲荷神社

 

御祭神 

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

 

伏見稲荷大社を総本社とする全国三万余社に祀られる稲荷大神(宇迦之御魂大神)は、稲荷の文字が示すように農業の神でありましたが、農地は即ち主な財産であったことから財産の守護神となり、現在では商売繁盛の神としても信仰を集めています。

 

銀杏の大木の根方にあった当社は、昭和二十二年の戦災も免れ、蒲田における数少ない建物として残りました。このため、「満願火伏稲荷大神」として火災予防の守り神と称えられています。

 

旧社殿は外からは見えませんが、そのまま現社殿の中に納められ、大切にされています。